第2回:「20世紀後半、探究学習はどう変わったか?行動主義から構成主義へ」
20世紀後半:行動主義から構成主義へ – 学習者観の転換
第二次世界大戦後になると、心理学の潮流として行動主義とプログラム学習が教育に影響を与えました。行動主義心理学者のB.F.スキナーは、学習者を**「刺激と強化に反応する存在」と見なし、好奇心など内部の動機より外部から与える報酬・罰によって行動を形成できると考えました。この人間観のもとでは、教育の役割は望ましい行動(例:正答すること)に対し即座にご褒美を与えることで学習を強化することになります。プログラム学習やドリル反復は、認知的理解より正解を出す訓練**が重視され、子ども=受動的な習得者との前提が色濃くなりました。1950〜60年代の大量教育体制では、標準化カリキュラムと画一テストの下、子どもの個々の興味より平均的達成度が優先され、好奇心駆動の探究は周辺的な位置に追いやられた側面があります。
しかし同じ頃、ピアジェやヴィゴツキーら認知発達理論・構成主義の台頭により、再び学習者内部の認知過程に注目が戻ってきました。ジャン・ピアジェは子どもを**「小さな科学者」に喩え、能動的に周囲を探索し試行錯誤することで認知構造を発達させるとしました。彼によれば、子どもは環境との相互作用の中で認知的な不均衡(わからないこと)に出会うと、それを解消しようと好奇心を働かせ新たな知識を構築します。このプロセスは内発的な知的好奇心が原動力であり、ピアジェ理論は学び=主体的な発見と位置づけた点で探究型学習を強く支持しました。一方、レフ・ヴィゴツキーは学習を社会文化的文脈で捉え、子どもは大人や仲間との協同的探究を通じて能力を伸ばすと説きました。ヴィゴツキーは「最近接発達領域 (ZPD)」の考えを提示し、子どもの自力と指導後の到達点の差に働きかける支援が重要だとしました。これは後のスキャフォールディング(足場掛け)**理論につながり、探究における教師の役割を「適切なヒントや支援を与えて自主的探究を下支えする」存在と再定義しました。
さらに1960年代、ジェローム・ブルーナーは発見学習 (Discovery Learning)を唱え、カリキュラムを子どもの認知構造に合わせて組み立て直す試みを行いました。ブルーナーは「学習者は自ら知識を再発見することで、より深い理解と長続きする知識を得る」とし、好奇心や探究心を刺激する教材の構成を提案しました。彼は「問題解決の過程を通じて得た知識は単に教え込まれた知識よりも知的威力が増す」と考え、子どもの探索意欲(好奇心)を引き出すことが教師の工夫すべき点だとしました。このように20世紀後半には、**「子ども=自ら学びを構築する主体」**という見方が再び強まり、学習環境の設計や教授法にも探究・発見を組み込む動きが広がりました。
しかし一方で、構成主義的アプローチの課題も指摘されていました。例えば米国では1960年代の「新数学」や「科学プロセス重視」のカリキュラム改革が、抽象概念の早期導入や発見学習の難しさから挫折するケースも出ました。また1970年代には一部でオープンエデュケーション(教室の壁を取っ払い子どもに自由に選択させる試み)が行われましたが、明確な成果が示せず縮小する流れもありました。これは後述する認知科学の知見(初心者には一定のガイダンスが必要)とも関連しますが、完全な自由放任による探究は理想通り機能しない場合があると認識され始めたのです。
次回予告
次回は、日本でも本格的に導入が進んだ「探究学習」カリキュラムの現状と課題に迫ります。
理想として描かれた「問いから始まる学び」は、果たして学校現場でどこまで実現されているのでしょうか?
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「総合的な探究の時間」は何を目指し、どんな困難に立ち向かっているのか?
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生徒の主体性を本当に引き出すには、どんな仕掛けが必要なのか?
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そして、教育における「人間観」や「学び観」はどう変遷してきたのか?
歴史的な視座から現代日本の教育を捉え直すことで、探究学習が目指すべき姿を浮かび上がらせます。