――AI時代における「人間らしさ」の未来を、学問領域を横断して探るレポート vol.1
はじめに:限界費用ゼロ化の歴史の果てに、ついに「知性」がやってきた
歴史を振り返ると、技術革新が「価値あるものの限界費用」を限りなくゼロに近づけてきたことが、社会の転換点をつくってきました。
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グーテンベルクの印刷技術は、知の複製コストを劇的に下げ、知識が特権階級から市民へと広がる契機をつくりました。
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インターネットは、情報流通の限界費用をほぼゼロにし、誰もが発信者・編集者となる社会を可能にしました。
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クラウドコンピューティングやストリーミング技術は、音楽や映像、さらには計算資源までも「所有」から「瞬時の利用」へと転換させました。
そして今、私たちは新たな転換点に立っています。
それは、知性(intelligence)という、最も人間的とされてきた資源の限界費用が、極限まで安価になりつつあるという事実です。
OpenAIのCEOサム・アルトマンは、この状況を「知性のコモディティ化」と表現しました。
それはつまり、かつて電気や水道がインフラとなったように、高度な問題解決力・記憶力・推論力といった知的機能が、誰でも自由に使える資源となる世界です。
人間らしさの再定義が迫られる時代
こうした環境において、私たちは逆説的に、次のような問いと向き合うことになります。
知性が誰でも使える時代に、「人間らしさ」はどこに残るのか?
知性が機械を通じて外部化され、アクセス可能になったとき、私たちが「人間」として持っていたと信じてきた特性や価値は、どのように変化するのか?
このレポートの構成
このレポートでは、こうした問いに答えるために、以下の8つの学問領域を横断的に参照しながら、
「知性のコモディティ化以後における人間性の再定義」を問い直してみます。
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文化人類学
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認知科学
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西洋哲学
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東洋哲学
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心理学
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神経科学
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サイバネティクス
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ポストヒューマニズム
それぞれの分野が、過去に「人間とは何か?」をどう理解してきたか、そしてAIが高度に浸透する社会において「人間性」がいかに再構築されるのかを読み解いていきます。
そして「び場」は、その問いに対する実践的なひとつの応答である
この一連の考察は、決して抽象的なアカデミズムのためのものではありません。
むしろ、「び場」の実践がすでにその問いを体現し、日々の子どもとの営みの中で“人間性とは何か”を問い、育んでいることを明らかにしていきます。
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子どもたちが問いを立て、意味を創造する探究プロジェクト
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感情と関係性を中心に据えた対話やドラマ教育
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拡張される知性ではなく、“感じること”と“関わること”を軸とした日々の営み
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テクノロジーと共存しながらも、人としてどうあるかを問い続ける環境デザイン
つまり、「び場」はすでに、
AI時代における“新しい人間観”を実践的に問い、生きているのです。
この続きでは、それぞれの学問領域からの視点を紹介しながら、
「び場の実践がいかにこれらの問いに先行して応答しているか」を明らかにしていきます。