第6章:神経科学 ――脳・意識・拡張の観点から人間をとらえる
過去の理解:人間性は「脳の働き」から生まれる
神経科学は、「人間とは何か?」という問いに対して、脳と神経系の構造と機能を通じてアプローチする学問です。
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人間の脳は、他の動物に比べて前頭前野が高度に発達しており、計画・言語・自己制御などの高次機能を担っています。
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記憶・感情・社会性・創造性といった私たちが「人間らしい」と感じる能力の多くも、神経ネットワークの活動として説明されています。
近年の研究では、次のような特徴が「人間らしさ」の源として注目されています:
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神経可塑性(neuroplasticity):経験に応じて脳が再構築される柔軟性
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ミラーニューロン:他者の行動や感情を「自分ごと」として感じるしくみ
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意識の生成:複雑な神経回路の活動から「自己の連続性」や「主観的体験」が生まれるという仮説
こうした観点から、神経科学は「人間性とは、複雑な有機的システムが自己を感じ取り、環境に適応する力である」ととらえてきました。
AI時代の再定義:脳の拡張と融合が問い直す「自己とは何か」
では、AIが脳に接続・補完される未来(たとえばブレインマシンインターフェースや記憶の外部記録が可能な時代)において、神経科学は「人間性」をどう再定義するでしょうか。
① 脳の外在化と「サイボーグ的自己」の登場
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Neuralinkなどのプロジェクトによって、脳とコンピュータを直接接続する技術が現実味を帯びています。
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将来的には、「知識を脳にダウンロードする」「記憶をチップに保存する」といったことが可能になるかもしれません。
このような技術が進むと、人間の脳は閉じた有機系ではなく、オープンな知的ネットワークのハブのような存在になります
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神経科学はこうした変化を、「人間=生物+情報のハイブリッド」として再定義するかもしれません。
つまり、「自己」は脳内にあるのではなく、脳+AI+環境との相互作用の中に浮かび上がる現象であるという立場です。
② 意識はAIに生まれるのか? ― 神経科学からの反論
AIがどれだけ優秀になっても、現代の神経科学者たちは次の点を強調します:
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意識(クオリア)は、生きた神経細胞ネットワークの活動によって生まれる。
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シリコンチップ上の演算処理は「思考のシミュレーション」ではあっても、「主観的体験」ではない。
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ゆえに、AIには「感じること」「気づいていること(awareness)」がないという点で、人間とは決定的に異なる。
これにより、神経科学の中には次のような立場が浮かび上がります:
人間とは、「意識を持つ、有機的な神経システム」であり、
知識や論理の量ではなく、「体験と自己性の深さ」においてAIと区別される。
③ 拡張される人間性と「神経倫理」の必要性
AIが人間の知覚や判断を補完し、場合によっては置き換える時代には、新たな倫理課題も浮上します。
たとえば:
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脳とAIがつながったとき、「どこまでが私なのか?」という自己の境界の問題
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情動や欲望すらAIで調整可能になったとき、「自由意思」は存在すると言えるのか?
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AIによって拡張された脳が、「人間以上の知性(ポストヒューマン)」をもつ可能性への備え
神経科学は今後、技術的進歩とともに、**人間性とは何かを再定義する「神経倫理(neuroethics)」**の中核的役割を担うことになるでしょう。
小結:生物としての「意識」を持つ存在、それが人間
AIがいかに優秀になっても、現代の神経科学は以下のように「人間性」を擁護する可能性が高いです:
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人間は、有機的な神経系によって主観性・感情・身体感覚を持つ存在である。
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AIは情報を処理するが、「生きている」という内的体験は持たない。
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脳が拡張されても、「感じている主体」であることが人間性の中核である。
つまり、人間性とは、情報処理ではなく「生きて感じること」そのものにある。
神経科学は、AIとの共進化が進む未来においても、「意識ある身体」としての人間の尊厳を支える視座を提供するでしょう。